Chu's Garden(4/24)
2016-04-24
趣味のデパート、小坂忠さん
その趣味を通して、忠さんのよりパーソナルな部分に触れよう
というコーナー「Chu's Garden」
3回目にピックアップしたのは…
『お茶・茶道』
<きっかけは千利休>
利休にどうも惹かれるんですよね。
"書院の茶"と言われていたものを、庶民に広げる活動をした村田珠光の後に、
日本のお茶、「わび茶」を大成した人ですね。
利休七哲と言われる弟子達がいて、
ヨーロッパでルネサンス芸術が興っていたのとほぼ同じ時代に、
日本の文化に新風をふきこむような活動をしていた利休は、
まさに日本のダヴィンチとも言えますよ。
<利休はキリシタン!?>
利休のやっていたことに興味を持って、色々調べていたら…
利休の奥さんは、キリシタン。
大阪の堺の人で堺には当時、
ポルトガルの宣教師が開いた教会があって、そこの出の人。
恐らく利休はこういうところに一緒についていって、
ミサに参加して、ミサの所作を学んだ。
この所作が、利休のお茶の所作に
色んな影響を与えているという人もいるんですよ。
利休七哲のうちの5人まではキリシタン。
状況的には、利休も…?
<利休が「わび茶」で伝えようとしたこと。>
「わび茶」の世界から、それを読み解くために色々と想像したんですけど、
ダヴィンチらがリードしたルネサンス芸術は、
聖書を題材にしたものが多いんですよ。
当時は、今の日本のように全ての人が文字を読める訳ではない。
まして、全ての人が聖書を読むことができる時代ではなかった中で、
一般層にまでそれを浸透させるには、視覚教材が必要。
ルネサンス芸術は、まさに、それだったんじゃないかなと。
では、利休の「わび茶」は?
当時の日本はカースト制度があって、
武士や証人が方を並べることはなかったが、
お茶の世界ではそれを取っ払う。亭主と客しか存在しない。
これは、天国の姿だなぁと。茶室の入り口は、にじり口というじゃないですか。
聖書も「狭き門から入りなさい」と書かれている。
なんだか、相通ずるものがありますよね。
利休の大成した「わび茶」は、
聖書の視覚教材だったんじゃないかな、と思ったり。
ちなみに、うちの教会に来ると、時々お茶を淹れたりするので、
是非お茶を飲みにきて下さい。
その趣味を通して、忠さんのよりパーソナルな部分に触れよう
というコーナー「Chu's Garden」
3回目にピックアップしたのは…
『お茶・茶道』
<きっかけは千利休>
利休にどうも惹かれるんですよね。
"書院の茶"と言われていたものを、庶民に広げる活動をした村田珠光の後に、
日本のお茶、「わび茶」を大成した人ですね。
利休七哲と言われる弟子達がいて、
ヨーロッパでルネサンス芸術が興っていたのとほぼ同じ時代に、
日本の文化に新風をふきこむような活動をしていた利休は、
まさに日本のダヴィンチとも言えますよ。
<利休はキリシタン!?>
利休のやっていたことに興味を持って、色々調べていたら…
利休の奥さんは、キリシタン。
大阪の堺の人で堺には当時、
ポルトガルの宣教師が開いた教会があって、そこの出の人。
恐らく利休はこういうところに一緒についていって、
ミサに参加して、ミサの所作を学んだ。
この所作が、利休のお茶の所作に
色んな影響を与えているという人もいるんですよ。
利休七哲のうちの5人まではキリシタン。
状況的には、利休も…?
<利休が「わび茶」で伝えようとしたこと。>
「わび茶」の世界から、それを読み解くために色々と想像したんですけど、
ダヴィンチらがリードしたルネサンス芸術は、
聖書を題材にしたものが多いんですよ。
当時は、今の日本のように全ての人が文字を読める訳ではない。
まして、全ての人が聖書を読むことができる時代ではなかった中で、
一般層にまでそれを浸透させるには、視覚教材が必要。
ルネサンス芸術は、まさに、それだったんじゃないかなと。
では、利休の「わび茶」は?
当時の日本はカースト制度があって、
武士や証人が方を並べることはなかったが、
お茶の世界ではそれを取っ払う。亭主と客しか存在しない。
これは、天国の姿だなぁと。茶室の入り口は、にじり口というじゃないですか。
聖書も「狭き門から入りなさい」と書かれている。
なんだか、相通ずるものがありますよね。
利休の大成した「わび茶」は、
聖書の視覚教材だったんじゃないかな、と思ったり。
ちなみに、うちの教会に来ると、時々お茶を淹れたりするので、
是非お茶を飲みにきて下さい。



